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待庵

待庵

千利休(1522年2月28日~1591年4月21日)が創ったといわれ現存する唯一の茶室である妙喜庵内の待庵は、国宝である3つの茶室の中のひとつですが、二帖の茶室と約1.2の次の間、約1帖の勝手からなっています。その小さな空間に客人の入り口である躙り口(にじりぐち)の脇に塗り壁の下地を見せた下地窓が2ヶ所と連子窓があります。
千利休は茶の湯を通じて、これらを美意識の域まで高めました。
千利休の活躍した時代は、戦国時代の不安定な時代でした。
いつ誰から裏切られて命を落とすかも知れないという緊張感の中で戦国武将達は一時でもそれらの下克上レースから解放されて「わび」「さび」という美意識の世界で心を解放したいとおもったのでしょう。

「わび」とは本来貧しいこと。物哀しい事を言い、「さび」は元々古びて劣化しているという意味です。地味で目立たないが丁寧に使いこまれたあり合わせの物だけを組み合わせて美しく味わいのある空間や場所や時間を創造する。そしてそれを芸術的、美意識の域にまで高めたのです。
待庵の内部は、普通の民家にも使用された素朴な荒壁に自然なままの柱や床柱等の部材、それらの本質がむき出しになった空間には様々な窓の形式や位置からの光の演出が必要でした。茶を点てる亭主のしぐさがどう光に照らされて主人に写るのか、床の間の飾りや茶道具がどう見えるのかを窓を取り付ける位置や大きさや形状を微妙にずらしながら決定していったのです。

茶室を独自の様式として完成させたのが千利休ですが、利休は侘び茶の精神を突き詰めていき、茶室から露地や庇の意匠、茶器や茶道具、掛け軸や生花にまで気を抜くことなはありませんでした。
待庵はそんな利休の詫び茶等の境地をよく示していて利休が作ったといわれる現存する茶室はこの待庵だけなのです。 躙り口(にじりぐち)は、千利休が河内枚方の淀川河畔で漁夫が船小屋に入る様子を見てヒントを得たという説があります。躙り口(にじりぐち)の他、土壁、下地窓、竹等も取り入れたりしました。

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